次の史料は何の荘園についてのものか答えよ。

一、当寺の相承は、開発領主沙弥寿妙嫡々相伝の次第なり。
一、寿妙の末流高方の時、権威を借らんが為めに、実政卿を以て領家と号し、年貢四百石を以て割き分ち、高方は庄家領掌進退の預所職となる。
一、実政の末流願西微力の間、国衙の乱妨を防がず。この故に願西、領家の得分二百石を以て、高陽院内親王に寄進す。件の宮薨去の後、御菩提の為めに、勝功徳院を立てられ、かの二百石を寄せらる。その後、美福門院の御計として、御室に進付せらる。これ則ち本家の始なり。
(『東寺百合文書』、原文は和様漢文)

ア 阿氐河荘
イ 鹿子木荘
ウ 桛田荘
エ 東郷荘